自分と自分の宇宙が無いことを受け入れる価値

私達は誰もが未熟だ

完全な人など1人もいない。

 

だけど結果主義の現代社会の中で

意識であろうが無意識であろうが

結果を求め結果だけで判断される。

 

プロセスは見ずに出来なければ責められる。

人からも、自負自身も。

 

誰よりも自分自身が責めたてる。

自負自身が誰よりも認めない。

 

未熟を愛せなくなっている。

 

ちゃんと出来てなければ認められない。

『ちゃんとしないと』の背景には

『迷惑かけてはいけない』がある。

 

私達日本人は迷惑かけてはいけませんと言われなかった人はいないだろう。

 

出る杭は打たれるのだ。

 

いつからそうなったのだろう?

戦前戦中の日本はどうだったんだろうか?

 

戦後日本は見えない権力からつくられた秩序や常識の奴隷になっている

 

聞き分けのいい家畜だ

 

家畜で生きる事はもういい加減やめたいと

勇気ある者が出たならば

出る杭は打たれ

見ていた者はさらにあきらめを深める

 

今、私達は杭を打つ事も出来ないくらいに突き抜けた常識破壊をしないといけない時代に来ている。

 

それは

自分と自分の宇宙が実在しない事実を受け入れること。

 

それは、本来の自分に戻ること

 

そこからこの錯覚現実のゲームを楽しむこと

 

大自由の心

とどまらない心

愛そのもの

 

涙のゲームは終わりにして

共に突き抜けよう

 

そこには子供達の声が宇宙の外まで響き渡る究極に美しい世界がある

 

http://blog.kanjutsu.net/entry/2016/11/24/120001