vol.1 平和な心で生きれないのはなぜ?

子供の頃から私は、
みんなが幸せで暮らせますように…。
と漠然と祈っていました。

そんな私が育った家庭には宗教があり
家族の事を思って毎日祈る母がいました。

けれど、ケンカが耐えない家庭で、
私はいつもいつも

どうか…どうか…
みんなが幸せでありますように…。
パパとママが仲良くなりますように…。

そう心の中で祈る事しかできず、
何もできない無力感の蓄積ばかりの日々でした。

なんでパパとママはケンカするんだろう…?
なんで戦争は起きるんだろう…?
なんでみんな幸せでいたいと願うのに、
分かり合えずにその願いが永く叶わないのだろう…?

どうか…どうか…
みーんなが、ずーっと、ずーっと
幸せでありますように…。

そんなことを漠然と思う子供でした。

だけど、中学2年の時に
とうとう父と母は離婚をし、
母が家を出て行きました。

父と姉の3人暮らしになった家族の生活もバラバラで、
何とも言えない虚しさと孤独と
何もできない無力感、
そして居場所のない不安感の津波
押しつぶされそうな感覚を今も覚えています。

そんな私はよく学校を抜け出すようになり、
ひとり河原を歩いていました。

今思うとめちゃ暗い。
でも、それが中学生の私にできる唯一の逃避でした。

高校1年の時に父が再婚し、
母が出て行った家に新しい義母が来てからも、
またケンカの耐えない日々が始まりました。

下で姉と義母、そして父のケンカの声が聞こえてくる中で
私はただ1人、2階の自分の部屋でうずくまってました。

こんな家…いたくない…。
その頃から私は夜中までクラブに行ったりと、
夜遊びや夜のバイトをするようになり自分の居場所探しをするようになりました。

たけど、どんなに遊んでも、
ほんの一瞬だけの開放感だけ…。

いつも高校の窓から空を見上げ
自由に羽ばたく鳥を羨ましく思ってました。

そんな高校時代の私の卒業文集には
『ここに存在する私は、檻の中の獣だった。』
たった一行に懇切な思いを込めて綴りました。

平和な心になれない原因が何かもわからず、
本当の自由が何かもわからず、
平和な心を求め
安心できる居場所を求め
自由を求めた日々。

どんなに遊んでも
どんなに逃避しても
得ることができない
平和と自由。

高校を卒業し
進学しても
就職しても
結婚しても
それはずっと変わることもなく
惰性で生きる日々でした。


こんな私が、
今までにない全く新しい技術に出会う事を通して、

何から自由でなかったのかを知り、
平和な心で生きる事ができない
根本的な原因を知り、
それが私ひとりの個人的な問題でなく
人類共通の問題であったことを知り、

今では大自由の心と
絶対的な平和な心を得て、
充実感溢れる生き方ができるようになりました。

日常での気づきや感動、
そして私自身の変化について、
これからこのブログを通して
みなさんにお伝えできればと思っています。

最後まで読んでくださって
ありがとうございました。